シンガポールでセントーサ島ツアーの集合地でおりランチ会場でもあったTHE ARTS HOUSE。
シンガポールの歴史のある建物で裁判所や国会議事堂として使われていたそうです。
現在は美術館になっているようです。一階にはカフェがあります。
miwano達がシンガポールに行った頃、ちょうど中秋の名月の催し物が開催されていました。
中秋の名月は仏教的行事だそうです。日本でも中秋の名月は言いますが、仏教とは結びつかないですよね。不思議な感じでしたが、とにかく仏教行事。ARTS HOUSEでも特別展示会の最中でした。
別に展示会が目的で行っているわけでは無いので観るつもりはなかったのですが、お手洗いを使うには展示室を通り抜ける必要がありました。写真と説明文のみの展示物を横目に通り抜けます。英語と漢文なので読めるはずもありません。
ところが、一つだけ読める文字があったのです。
それが平家納経。
ご存知の方も多いかと思いますが一応説明を。
平家納経とは平清盛が平家の繁栄を願って安芸国厳島神社に奉納した写本のことです。
平清盛の時代のものですから今から千年も昔のもの。国宝に指定されています。現在も厳島神社に保管されています。
宮島にあるものですからmiwanoもその存在は当然知っています。でも、見たことはありません。
その平家納経の文字をシンガポールで見るなんて驚きとともに感慨深いものがありました。
それで平家納経について調へることにしました。
平家納経とは
広島県のホームページから引用します。
平安時代後期の長寛2年(1164)9月,平清盛をはじめ,子息重盛,弟経盛・教盛・頼盛など平家一門の人々が一巻ずつ結縁(けちえん)書写して厳島神社に奉納した経典群。
各巻とも金銀の優美な金具で飾られた表紙に,経の大意を描いた美しい見返し絵をつけ,料紙は表裏とも金銀の切りはくをまき,野毛あるいは,あし手を散らすなど意匠をこらしてある。また,水晶の軸に金銀の装飾金具をつけ,螺鈿(らでん)をするなど当時の工芸技法の粋をつくしている。平安時代(794~1191)に流行した装飾経の最高峰をなすものであり,大和絵(やまとえ)の史料としても貴重である。
法華経30巻、般若経1巻、阿弥陀経1巻。それに清盛願文1巻の33巻を平家納経と言います。
かなり豪華な仕立てになっているようです。こんな豪華なものを奉納できるくらいの財力があるのに更なる繁栄を願って奉納したというのが、かなりがめつい…
1164年と言えば、平家全盛時代のちょと手前。財力はあっても権力はまだ手にしていない時期ですから、権力も欲していたのかと推察できます。
更に、当時の時代背景を考えると、先行きへの不安感があったことも推察できます。
当時は末法の世、これから人も世も乱れてその状態が長く続くと言われていたことを思うと、いくら財力や権力を持っていたとしても、それがいつまでも続く保障はありません。そんな不安感もあったことでしょう。
平家がその後どうなっていったかはご存知の通りです。しかしその前に「平家にあらずば人にあらず」というほどの繁栄を手にしたわけです。
雑感
実は平家納経は平家全盛期に奉納されたものと思っていたので、全盛期よりも前だったことに驚きました。全盛期よりも前にこれだけの財力を持っていたということです。地方の武士がどれだけの力を持っていたのかという驚きです。と同時にこれだけの財力を持ちながら、中央では権力者から蔑まされていたであろうことが平家繁栄の原動力の一つになったのではないでしょうか。
残念なのは一旦権力と財力を手にした途端、権力争いに身を投じざるを得ない状況になってしまったことです。源氏のように権力の中枢から離れたところで力を持つという選択をしていたら、、、
歴史にifはありませんが、そんなことも考えました。
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